小島信夫『アメリカン・スクール』
日本文学に燦然と輝く名作ながらも、何度か読んでは途中で挫折していた本。 久々に読んだら、思いのほか読み進められました。 総括して、ブラックながらもコメディタッチの作品が多いので、読みやすいとは思う。例えば、「汽車の中」は敗戦直後の密集した電車の中を舞台にしているが、そのさまは満員電車という状況を遥かに超えてカオス。はっきり言って情景を思い描けないくらい想像を絶するさまも出てくるけれど、それがまた乗り合わせた人たちの困惑を現わしているようで実にいい。 また、「燕京大学部隊」「星」「馬」などにはまるでコーエン兄弟の映画のようなブラックユーモアが散りばめられている。特に「馬」なんて香川照之主演で映画化したら実に似合いそうだ。 さて、ここまでは前提。 読みやすいとは言っても、やはり難解ではあるんだよね。 それはつまり、「小銃」で言えば普通なら男性の象徴であるはずの銃になぜ主人公は女性を感じるのか、とか、「星」で言えば階級を示す星に対する主人公の度を越したこだわり、そしてラストの展開は何を意味するのか、とか、「馬」なんて設定そのものが謎と言ってもいい。さらに設定の軸が狂っているのに加え、正常な判断を下すはずの主人公の視点の軸にも狂いが生じている(が、一見するとエキセントリックなだけの普通な小説にみえる)ところ。 おそらく、読み解く手段としてアメリカというのは有効だろう。 「燕京大学部隊」や「星」でも触れられていた英語という言語に対するこだわり、「鬼」に登場したエビガニに象徴されるもの。 「アメリカン・スクール」では、この敗戦・占領を経て日本がアメリカナイズされることへの葛藤が前面に描かれている。この感覚というのは、ひょっとするとすでにアメリカナイズが完了した現在の日本では理解されにくいかもしれない。 自分の身に照らし合わせてみると、外国から来た人をもてなす際に、留学経験のある人が英語で話しかけてたのがすごく奇異に思えた。 つまりは、進んでアメリカの犬になろうという山田と、日本人の矜持を守ろうとする伊佐との対立構造、という見方もできるだろう。 ただ、その割には伊佐はカッコ悪く描かれている。 つまり、この時点でアメリカナイズされることに対して、決して推進するのも否定するのも正しいとは言えない、という葛藤があったことが示される。 ただ、ここまで考えてもまだ前提に過ぎないような気がするのです。 もう少し時間をかけて読み解きたいと思います。
- 作者: 小島信夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1967/06/27
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