OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

2012年に『ピッチ・パーフェクト』と『スプリング・ブレイカーズ』が公開されたということ

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『ピッチ・パーフェクト』('12/ジェイソン・ムーア)は声で始まる。フライング気味に、ユニバーサルのロゴに被せてテーマ曲をアカペラで流す遊びと共に、男性コーラスグループが踊りながらステージ上で唄う。ここで唄っているのは
このページによれば
リアーナの曲にマイケル・ジャクソン等をサンプリングしたものらしい。
 早漏にもほどがあるだろうが、僕はこのアクトを観て早々と涙を流してしまった。思った感想はこれだ。「俺の知ってるアカペラと違う!
 

 オーケー、僕の話をしよう。
 僕は高校の頃から大学、あと社会人になって何年かは合唱をやっていた。長年やっているわりには音程(ピッチ)をとるのも苦手で、足を引っ張ってばかりだった。アカペラみたいなのもやったことがある気はするし、ない気もする。日本でも確か今から10年くらい前にお笑いトリオのネプチューンがやっていたバラエティ番組の影響でアカペラが流行ったことがあったっけ。
 だから、これを言うとかなり語弊があるが、まあ、合唱も広い意味でのアカペラに含まれるとするならば、僕は内部にいたからこそ、その合唱の垢ぬけなさもどうしても実感として持っていた。そしてそれは、自分が「合唱」という舞台で今一輝けなかった責任を転嫁していたのかもしれない。
 だからだよ、『ピッチ・パーフェクト』の冒頭でヒット曲をかっこよくアレンジして自由に踊るトレブルメーカーズの姿にあれだけ感動したのは。それは自分の中の合唱史とポップス史と映画史が重なった瞬間だったし、もしもっと早く気付いていたら輝けたのかもしれないと、そんなことを思った。むろん、そんな思い込みはトレブルメーカーズの曲を真似して唄おうとして、2秒で崩れたが。


 思った。思い出した。僕が最も合唱に取り組んでいたのも『ピッチ・パーフェクト』と同じ大学の頃だった。僕は高校までは地元で暮らし、大学は県外に進んだ。就職のときに地元に戻ってきている。そして、大学を卒業して10年近く経とうとしている。だからかもしれない。時折、大学の時期を思い出すとそれが現実だったことが信じられないような、ぼやけて思い出されるのは。
 この感覚を持っているから僕はスプリング・ブレイカーズ』('12/ハーモニー・コリンを嫌いにはなれない。あの映画、どこか現在形で語っているような気がしない。
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「すでに諸家が指摘しているように、フィルム・ノワールを特徴づける手法のひとつにヴォイスオーヴァーと呼ばれるものがある。これは登場人物の心の呟き、声ならざる魂の叫び、真情吐露、アポロギア、世界にたいする不信表明である。」(加藤幹郎『映画ジャンル論』平凡社

スプリング・ブレイカーズ』はセレーナ・ゴメス演じる少女のナレーションで進められる。ディズニー番組出身のディーヴァの声で語られるそれは祖母にあてたメッセージであり、また同じ文言が繰り返されるところなどヒップホップのループ感を再現していると言ってもいい。

「要するにフィルム・ノワールの主人公はおうおうにして「D.O.A.」(到着時に死亡)、それが物語全体を支配するシニシズムを構成する。つまりは物語はすでにとりかえしのつかぬ事態に逢着した主人公によって、そのとりかえしのつかぬ時点からはじめられるのである。この物語の形式と内容の双方を支配する「とりかえしのつかなさ」が、このジャンル最大の特色を生み出す。(中略)かれらは「過去を逃れ」ることができないがゆえに、魂の声はなんとか過去と現在のあいだに穿たれた溝をうめようとする。」(同引用)

 おそろしいことに、セレーナ・ゴメスは物語の途中で文字通り退場する。それから以降は少女たちとの共犯者であるジェームズ・フランコ(役名はエイリアン)がナレーションを担当し、そして「とりかえしのつかない」顛末を迎える。


 僕は前述の大学生活に関する個人的な思い出もあるのだろうが、この『スプリング・ブレイカーズ』を決して新しい映画だとは思えなかった。むしろこの電子音楽使いは90年代のユーロビートから本当に進んでいるのかと思ったくらいだ。
 ハーモニー・コリンは映像に加工を施し肉体性を奪う。この方向性と、大槻ケンヂが自身のエッセイ*1で書いていたように電子音楽がロックから快楽要素を抽出したものだとする考え方は一致するし、その意味で、ハーモニー・コリン電子音楽に対する考え方は旧態然としたものなのかもしれない(そしてそれは90年代のものが好きな僕自身の電子音楽感にも近い)。


 電子音楽に乗せて大学からフロリダへ出て破滅へと向かった『スプリング・ブレイカーズ』勢に対し、『ピッチ・パーフェクト』勢は大学に留まり古い文化と新しい文化を組み合わせ、それを肉体を使ってアウトプットする。主人公が属するアカペラグループのリーダー・オーブリー(アンナ・キャンプ)がステージ上でゲロを吐くこと、副リーダーのクロエ(ブリタニー・スノウ)がポリープ手術の代わりに得た低音が決してそれ単体だと耳触りのいいものではないこと、それらは『スプリング・ブレイカーズ』勢の銃弾の代わりなのかもしれない。


 僕にとってこの2作は、それぞれが別の方向性から自分の大学生活を補完するものだった。
ピッチ・パーフェクト [Blu-ray]
スプリング・ブレイカーズ [Blu-ray]

*1:オーケンののほほん日記』