エル('53/ルイス・ブニュエル)
2011/2/18鑑賞
DVD
ルイス・ブニュエル監督の1953年作品。
パラノイアの症例を説明する際に使われるくらいリアルな描写が特徴的らしいです。
恋愛について必要になることは自信である。
主人公がよく繰り返す「私は絶対正しい」という文言は、「自分は正しくないのではないか?」という思いの裏返し、言うなればそれは虚勢だ。
主人公の男がそのフェイクな自信でもって恋愛でもビジネスでも成功を勝ちとるが、やはりそれはフェイクにすぎない。自壊を起こしていくさまが哀れでもあり、非常に複雑な気持ちになった。
※以下ネタバレ
また、この映画で気にかかったのは、一度殺されそうになったグロリアは、再度殺されそうになるまで家を出ていないことだ。
つまり、嫉妬により錯乱状態にあったフランシスコ(主人公)の危険性を認識していたはずなのに、彼に対しアニマ的な扱いを行っている。
この部分に、女性がダメな男に惹かれるどうしようもなさが描かれているように思った。
ほとんどキャラとしての厚みが表現されないラウル(主人公の恋敵にあたる男)にもこの部分があるのではないかというのは邪推だろうか。
前半に出てくるフランシスコは、私のようなモテない男から見るに、勘違いだろうがなんだろうが、自信のある男で、結局なんだかんだ言ってこう言う男に女って惹かれるんでしょー、というヒガミ根性丸だしで観ていた。
そのフランシスコが嫉妬と被害妄想から神経症に陥り、狂気の淵まで来てしまうが、それが一行目で述べた事実により繋がる。
片思いの時に似たような精神状態に陥ったことがある身としては、完全には笑えない。たぶん、あの恋愛は成功していなくてよかったのだという自浄的な気持ちになった。
僕はデヴィッド・リンチの映画を観て以来映画の見方が少し変わった。つまり、スクリーンに映し出されていることはすべて登場人物の妄想である可能性は捨てきれない、ということ。
例えば、この映画で言えば教会でみんなから笑われるシーンは『マルホランド・ドライブ』序盤で下品な笑みを浮かべた老夫婦を連想させる。
教会に入っていったグロリアとラウルがまったくフランシスコに反応しなかったところとかぞっとする。
そして有名なラストシーンは、私はすべてを捨て切っていない姿を連想させた。
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2009/12/19
- メディア: DVD
- 購入: 2人 クリック: 23回
- この商品を含むブログ (6件) を見る