OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

友だちのうちはどこ?('87/アッバス・キアロスタミ)

大人はわかってくれない・・・けれど・・・

2012/5/9鑑賞

@シネマパレット



 午前十時の映画祭で鑑賞。



 イラン映画で、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』('58)に近いものを感じた。ただ、あの映画のドワネル少年は「そりゃわかってくれないわw」と思うような悪童だったのに対し、アハマッド少年は実に素直な良い子。あらすじは、誤って友だちの宿題ノートを持ってきてしまった少年・アハマッドがそのノートを返しに行くというもの。 実にシンプルで、本当にこれで劇映画が成立するのかと思えてきてしまう。

 だが、物語が始まって10分くらいしたところで明らかにドライブがかかる。



 アハマッドはノートを返しに行かなくてはならないと母親に訴えかけるのだけれども、母親はいっこうに聞く耳を持たない。観客はアハマッドと視点を共有しているし、アハマッドの言うことが論理的に筋が通っているのもわかっている。しかしながら、母親の前ではその論理も通用しない。なんというか、この文化圏ではものすごく子供の発言力が弱いことがわかってしまうのだ。

 思うに、牧歌的な時代とされた「三丁目の夕日」的な世界観でも、子供は自由からは程遠い所に置かれていたのだろう。当時は子供は大人の言うことに無条件で従うものとされ、労働力として育て上げられていった。きっと人権を無視したような行為もあっただろう。

 こういった状況をまさに子供の視点で見せられることで、観客は「どうかこのミッションを遂行してくれ」と願わずにはいられなくなる。

 

 物語の中盤で、アハマッドのおじいさんがこういったことを言う。昔はもっとしつけに厳しく、小遣いは一週間に一回でもげんこつは四日に一回もペースでもらっていたし、親は小遣いをあげるのを忘れることはあってもげんこつをあげるのは忘れなかった。では、げんこつをあげなくてもいいようないい子にはどうするのと友人に問われて、じいさんは答える。なんとか理由をつけてげんこつを与える。



 ぼくはこの世界のしつけが正しいのかわからない。一種の悪循環に陥っているのは事実だろう。

 未成熟な世界で厳しいしつけをもらうのと、成熟した世界で甘やかされて育つの。どっちがいいのだろう?



 また、ドアというアイテムの暗喩するところがイランの時代の移り変わりを示しているように思えたのでこれについては少し勉強してみたい。

友だちのうちはどこ? [DVD]

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