恋の罪(★★★★☆)
2011/12/23鑑賞
@桜坂劇場Cホール
園子温監督の映画。初日。ほぼ満席で年配のお客さんが多かったです。
公言されていないものの、この映画は明らかに「東電OL殺人事件」をベースにしている。
これを観た日、僕は忘年会で友人の家に泊まった帰りというコンディションだったためはっきり言ってしまえば十分に受け止めきれなかった気がします。もっと体力のある時に再鑑賞しようと思っています。
さて、そもそも園子温監督は映画的な完成性よりももっと異なるものを標榜する人だ。
けれども、なんかこれは飲み下せないものが出てきたと感じた。
この映画のどこがこんなにとっつきづらくなっているのか?
うまい脚本とは言えないのは確かだし、その完成度は明らかに『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』より低いと思う。『自殺サークル』(’02)よりはややマシか?
だが、この映画の秘密はそんな小手先のところにはない。
早い話が、この映画で園監督は、ありとあらゆるものすべてを否定し拒絶してしまっているからだ。
『冷たい熱帯魚』(’11)でも確かにすべてを拒絶するようなラストシーンだった。キネ旬のインタビューから園監督がこの映画を精神的にどん底のときに撮ったという話を読んだので、ここが底なのだと思った。
だから、『恋の罪』という映画はもう少し浮上したところにあると思い観に行った。
しかし、園監督の底はもっと深い処にあった。
言うなればこの作品は、色々なものを否定しきって、中心には何も残っていないぞという絶望的な映画だと思う。僕は『冷たい熱帯魚』にはまだ希望があると信じ、そこに縋っていたのだが、本作でその希望すらぶち壊されてしまった。
本作にも名前が出てきたカフカの『城』がまさにそういうテーマの小説であるし、『愛のむきだし』(’09)で使われていたゆらゆら帝国の『空洞です』のテーマもそれに近いだろう。
この映画が単純に園監督のサディズムの発露だ、なんて言いきってしまえれば楽なのだ。
例えば、吉田和子(水野美紀)を調教させている男性(アンジャッシュ児嶋)が出てくる。彼は最後まで殺されたりはしないけれども、明らかに彼の語彙は低い。水野美紀といえば間違いなく私たちの手の届かないレヴェルの美女だ。ご丁寧にも今回の役柄は婦人警官という「強さ」を強調したようなキャラクターだ。そういった女を粗野な男性性でもって屈服させたいという観念は感じられる。けれども、彼が明らかに粗野に描かれているという時点で、園監督は彼を特別な存在として描こうとはしていない。さらには他のキャラクターのようにわかりや
すい堕落(殺されたりとか)を用意していないことからも明らかだ。
ここが実に今回の映画の業の深さで、『冷たい熱帯魚』でのすべてを否定した(気分になって感じる)太宰的センチメンタリズムさえも誤解して感じさせないようなつくりになっている。
あと、神楽坂恵演じるいずみに関するシークエンス。じつは『レスラー』(’09)のミッキー・ロークなみに実人生とのシンクロが激しい役柄だ。
神楽坂恵はもともとデパートガールをやっていたが、グラビアアイドルになった。だが、グラビアの仕事としてはいわゆる着エロ方向が中心だった。一方で、女優を目指していると公言し『わたし、グラビアアイドルやめたいんです。』という本を出した。しかしながら、乳首を解禁すると宣伝したDVDでその約束を反故にし、しかもその処理が実に不誠実なものだったり、あるいは女優業でも『遠くの空に消えた』(’07)などに出演するものの巨乳が災いして役柄が限定される、しかも演技だって評価されない、など、自己と他者のイメージの違いに苛まれていたと思われる迷走期間がある。彼女の転機はやはり2009年にヌード写真集を出したことだと思うんですよ。それで、今までの不実さが帳消しになり、また脱ぎ惜しみしない女優として評価も上がったような気がします。このあたりで、彼女はその複雑な自意識をものにしたのだと思うんです。加えて言えば、神楽坂恵って、実にM的な顔してますよね。なんか、山本晋也口調になってますけど。
そういった経歴を踏まえてみると、いずみが潔癖な夫(津田寛治)の手を離れ、試食係のバイトから始め水着になり、さらにはヌードモデルやAVにまで出演する(このあたり、グラビアアイドルを追っかける際に心のどこかで「AV出ないかな、いや、出てほしくないな」と思う男子的にはちょっとグッとくるところ)。そしてまあその後どんどん堕落していくわけだけれども、現在園監督の妻であることを考えると、実に彼のサディズムを受け止めている存在なのだなと思う。結果的にその潔癖な夫のある秘密を知ってしまうことで堕落が決定的なものになってしまうという展開を考えると。
だが、あの突き放すような終わり方を果たして彼の愛情の裏返しと簡単に言っていいものかどうか決めかねてしまうのだ。
つまり、この世のすべてに絶望し否定し壊してしまう園監督と、それでも笑顔で受け止める神楽坂恵の関係性を(下世話ではあるが)連想しつつも、やはりその画面も園監督が作り出しているという構造に、さらに深い絶望を感じてしまう。
そのほかには、いずみを堕落へと誘う存在である美津子(冨樫真)。
恥ずかしながら自分は、犠牲者のOL役にあたる人物をいずみだとミスリードされており、真相が明かされたとき結構びっくりしたんですよね。
彼女の演技はやや誇張されており、時折笑いを誘うレヴェルになっている。沖縄のお客さんはあまり訓練されていないのでほとんど笑いは起きなかったが。
だから、この殺人事件の真相はこれが「東電OL殺人事件」の映画化だと考えると明らかに原作(?)の意思に背くかたちになる。だが、これは「A SONO SION'S MOVIE」なのだ。
この映画で最も怖いのは大方斐紗子さん演じる美津子の母。まさに日常に歩み寄る狂気を表現している。例えば、『冷たい熱帯魚』のでんでんの怖さはでんでんという俳優をもともと知っていたからその違和感から来るもので、どうにかフィクションの範囲内に収まっていたと思うんです。けれども、まあ、礼を欠きますがそこまでよく見かけるわけではない役者にこの役をやらせることで、もうただのフィクションを越えた何かに昇華していたと思うんです。
次に怖いと思ったのは深水元基演じる白い服を着た男性だったけれども、彼の笑顔というのは感情を失くしているようで実は自分の弱さを隠していたものだとわかったのが面白かった。これは『冷たい熱帯魚』に出てくる三浦誠己の役に通じるものがあると思います。
いろいろ長々と書いてきたけれども、個人的にはまだ全然消化不良を起こしている作品。
もう一度観て改めて感想を書きたい。