OKINAWA MOVIE LIFE

沖縄(宮古島)在住の映画好き。ツイッターは@otsurourevue

『[Focus]』('96/監督:井坂聡)

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 浅野忠信のことで口論になったことがある。近年のハリウッド映画や巨匠の映画に出演するようになった浅野忠信を批判する人に対し、そういった活動も肯定的に捉えている自分が反論したのだ。脚本をそのまま読んでいるような演技は誰でもできるからと彼は言ったが、僕はそれは浅野忠信を狭い枠に閉じ込めていると反論した。その場では僕が一番発言力が弱かったので、その場にいた第三者の立場をとる友人が「議論になってない」とその場を収めたが、未だに納得いっていない。


『[Focus]』('96/監督:井坂聡(にしても表記としてカッコが多くなりすぎだ)は浅野忠信が「脚本をそのまま読んでなかった」とされる時代に出演した一作。今にして思えば白石晃司監督の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズ('12~'15)にも影響を与えているのではないだろうか。撮影クルーの配置などほとんど同じだし。
 だが、[Focus]には幽霊もモンスターも出てこない。浅野忠信演じる盗聴マニアの青年をその様子の甚だしさからモンスターと形容するなら話は別だが、怪異は存在しない。ただ、幽霊と同じくらい非現実的なものが画面に現れる。銃である。
 本当ならカメラに映ってはいけないものが映ってしまった。そしてそれを俺たちは観てしまった。
 全編を通した一種POV的な撮影(当時そんな言葉はなかったけど)がその恐怖を担保する。終盤近くにこのPOVのルールから外れたシーンがあるのが残念だけれども、それを除けば完璧な作品だ。


 さて、「銃」だ。銃にせよ幽霊にせよ、それ自体は別に害はなくても、それを通して触れたものの狂気が発露する。そういった怖さがある。凶器で狂気が炸裂するのか。ククク・・・おもしろい。ハッ!
 そして、この映画内状況においてもひとつ不幸だったのが、そこにカメラがあったこと。ただでさえ狂気を引き出す媒介(メディア!)があるというのに、それを増幅させる装置としてカメラが存在する。もっと観ろ!いいぞ、やりすぎてしまえ、という具合に。
 浅野とカメラマンがこういうやりとりをする。以下大意である。
「寒いもんだな。なんでこんなことすんだろ?」
「観るやつがいるからじゃね?」
 僕のDVDプレイヤーだと、このシーンで盤面に傷が入り、一瞬再生が止まったあとまた再生が始まった。一瞬演出だと思ったくらいだ。
 要は、何かしら狂気を抱えた人間がいる。それをなんかしらの方法で発散しているが、そこにずけずけと入り込む者がいる。そして、狂気のバランスが崩れ、それを増幅させる装置があって、結果悲惨なことになる。案外、犯罪が起きる状況とはこんなものなのかもしれない。


 枕の話に例えれば、あの時に僕が銃を持っていて、第三者の友人がカメラを回していたら、僕は犯罪者になっていたかもしれないということだ。そして今でも[バッテリーが切れました。充電してください]

[Focus] [DVD]

[Focus] [DVD]