BLANKEY JET CITY「C.B.Jim」(1993)
やっぱりこれも書きたくなった。ブランキー3枚目のアルバム。1993年発表。物議をかもし出した「悪いひとたち」や、ライブで人気だったナンバー「PUNKY PAD HIP」なども収録。
前作「BANG!」が陰とするとこちらが「陽」。言ってみれば、その日の気分によってどっちが聞きたいかは変わるもので。けど、どっちもホールデン・コールドフィールドのような物言いだから聞きたい日が生まれるわけで。
前作のラスト曲「小麦色の斜面」での効用感をそのまま引き継いだようなテンション。ショッパナの「PUNKY PAD HIP」なんか日本のスタンダードロックンロールになってもいいナンバーだと思うし、けどベンジー以外の声では聴きたくない。「D.I.J.のピストル」も、そう。
このアルバムでは、前作の内省性よりも外に向かっていて、ブランキーにはあまり似合わない言葉だけどエンターテイメントしている。だから、「いいだろう俺のこのサングラス」なんて、いつの時代においてもダサい言葉さえもブランキーの世界観作りにうまく作用するのだろう。
ライブ、一回だけ行ったことがあって、そのときには、「D.I.Jのピストル」が演奏されてたのかな、とにかく踊れた。ブランキーの作り出すロックンロールは音楽を愛する人を躍らせる力がある。もちろん肉体的にだ。前作の暗さももちろん精神的・内面的なものなんだけれど、肉体の生理に直結しているような感じもした。ブランキーの音には血が通っている。そして、それがマイノリティの煩悶にささげられたのはきっとすばらしいことなんだ。
それと、このころからブランキーの世界観が確立してきた。つまり、ベンジーはブランキー・ジェット・シティという市の市長で、そこでの物語を唄にしているだけだというもの。その街はおそらくアメリカで70年代くらいに作られた低予算の青春映画の舞台にでもなりそうな町なんだろうな。そこで言われる名台詞。「世界が終わるまで待っててBaby」「子供のころよく飛び降りて遊んだあの塀がなくなったときの気持ち」
そういった意味合いでは、ブランキーの音楽というのはファンタジーやメルヘンに属するのかもしれない。
詩の世界の物語性はすばらしい。はっきりいって、その辺の本職詩人の書いた詩と比べても遜色ないほどだ。特に「悪いひとたち」。初めてこの曲を聴いたとき、ヘッドホンを耳にしたまま公園のベンチで凍りついた。今まで争いをして領土を奪って生きてきた悪いひとたち、その血が俺にも流れているのだという思い、そんな男が亡くなる間際に思った、次の世代へともつながっていくもの、そういったテーマを11分の曲にしている。とにかく、聴いてほしい。
- アーティスト: BLANKEY JET CITY,土屋昌巳
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1993/02/24
- メディア: CD
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